平成20年度 第2回 掛川市民景観講座を開催しました。

11月8日(土)に平成20年度掛川市景観市民講座の第2回、「良好な景観を検証する~大東・大須賀フィールドワーク」が実施されました。
[講座の目的]
第2回目の掛川市景観市民講座は、大東、大須賀地区をフィールドワーク先とし、「掛川市の良好な景観」「お気に入りの風景」「美しい街並みや建築物」など気になる景観として応募のあった「大東地区:モコモコ」と「大須賀地区:横須賀の町並み」の検証を行い、景観の整え方、保存の仕方、改善の仕方など研究、講師と共に意見交換を行いました。

[講師]鉄矢悦朗(てつや えつろう)氏
建築家、東京学芸大学准教授、NPO法人「調布まちづくりの会」理事。掛川との関わりは、2004年に「掛川ひかりのオブジェ展」に学生有志と参加して以来。NPOスローライフ掛川主催「掛川ライフスタイルデザインカレッジ」のフォーラム講師を務める。昨年度の掛川市景観市民講座でも全3回の講師を務める。東京都調布市在住。

[ポイント]
①合併して4年。大東のモコモコ、大須賀の町並みを知っていますか?
②景観は「放っておくとどうなるのか」「手入れをされないとどうなるのか」考えたことがありますか?
③私たちが暮らす掛川市にとって、どんな景観の整え方、保存の仕方、改善の仕方がいいのでしょう?
[スケジュール]
7:50 集合・受付 (掛川市役所正面玄関)
8:00  バス乗車・移動 (車中でブリーフィング)
8:20  景観検証1:大東地域 (モコモコなど)
9:20  景観検証2:大須賀地域 (街並みなど)
10:30 レクチャーおよび意見交換会 (大須賀支所2F会議室)
12:00 終了、バス乗車・移動
12:30 解散(掛川市役所正面玄関)

[内容]
1.はじめに
■事務局 掛川市都市整備課より
昨年以来、景観講座はNPOスローライフにお願いし、年3回、景観の見方、景観の役割、大切さを知っていただく市民啓発のための講座と位置づけ、実施しています。半日になりますが、どうぞよろしくお願いします。
■NPO法人スローライフ掛川
代表 井村征司
昨年から掛川市と協働で、この景観市民講座を実施しています。今日は大勢の皆さんにおこしいただき、大東のモコモコと大須賀の町並みを歩きます。解説してくださる助っ人も合流してくれるということなので、今日はどうぞよろしくお願いします。
■講師挨拶
東京学芸大学准教授 鉄矢悦朗
今、私は学芸大でデザインを教えています。デザインを知るときに大事なのが、「ものの背景を知ること」「時間的な背景、つながりをどう読むか」ということです。ここは江戸時代こうだったんだろうとか、未来まで見通せるようになるので、そういう目で見ていただきたい。その際、できるだけ空間、場所を体験して、かみしめていただきたい。しゃがんだり、立ったり、動いたり、いろんなことをしていただきたい。今回のモコモコは、特に動いているのが楽しい。あと、ストーリーやドラマを考えながらその場に立っていただきたい。ここで、どんなドラマが生まれて、どんな暮らしが営まれているか考えてください。そうすることで、今日の景観はより深く考えられるかと思います。
2.観察
大東地区:モコモコ
大須賀地区:横須賀町並み

3.講義
東京学芸大学准教授 鉄矢悦朗
景観には、「見える景観」と「見えない景観」がある。見えない景観は、雰囲気、聞こえる音、匂い、五感に感じるものなど。見える景観とは、ヨーロッパでは公のスペースに情報を与えるものは、すべて景観の要素と考えるが、日本では、パブリックスペース、公が持っている土地が景観の要素だとなる。見えていても、民の土地は景観ではない。民でやることは勝手だ、となってしまっている。
ヨーロッパでは、昔銀行だった建物が、中がカフェになっているようなところがある。外は古くて、中は新しい。そのギャップが楽しい。楽しいけれど、中と外のギャップを埋めるのに最初は苦労した。どうして、建物を建て替えないのかといえば、外は公の街並みを作っているスペースという意識があるから。だから、外はいじらないで残し、中だけ新しいものにする。
今日、横須賀の町並みをまちの人と歩いて、まちのエピソードを聞くと、身近な感じが出てくる。そういうことが、「まちづきあい」が上手になるということで、住んでいる人にとっては「まちづかい」がうまくなるということ。こういうことが、景観という中でゆるい啓蒙になってくるのではないか。
4.意見交換
■参加者感想
[モコモコ]
・はじめてモコモコに来た。登ってみて360度の視野があり楽しい気持ちになる。
・お墓モコモコを見て、日常の風景の中にご先祖さまがいるのはいいなと思った。
・今日は「モコモコって何?」という興味で来た。モコモコという
ネーミングが素晴らしい。
・モコモコの上から見る景色と下から見る景色が違う。
・モコモコに登ると子どもの頃の感覚がよみがえる。上に登ると風を感じた。
・モコモコに人がいることでさらにいい景色になる。
・モコモコをまず大人が面白がって遊べば、子どもは「面白そうだ」と登りにくるはずだ。
・モコモコは小さいころの遊び場。今日、久しぶりに登って新鮮な感動を覚えた。
・低いのに、登ってみると高く感じ、とても楽しい。大東の財産
として再発見できた。
・モコモコはただの小山なのに、登ってみると楽しい気持ちになる。子どもの頃、遊んだという話を聞いて、大人も子どもも遊べる場所になればいい。

[横須賀町並み]
・郡上八幡宮や金沢、高岡などに行かなくても、地元にこんな素晴らしい町並みがあったのかと驚いた。
・その土地を愛している人から話を聞くのは親近感が沸く。そのまちの奥行きをさらに感じる。まちづくりは人が原点だと感じた。
・横須賀には、まちづくり、まちづきあい、住んでいる人たちの気持ちが通い合っている感じしていい。
・説明を受けながらまちをまわるのは、絵を見るのと似ている。見方がわかると素晴らしさもよくわかる。見る目を養うことで、人から教えてもらうことが心にしみてくる。見る目を持った人が増えることが景観づくりにつながる。
・町並みがそのまま残っていて素晴らしい。人と場所の関係が保たれることで再生すると感じた。同じ掛川市なので、力を合わせてなんとかしたい。
・まちを見て、今の暮らしを戻す必要があると感じた。横須賀の町並みを見て、掛川のあるべき姿を考えた。
・細い路地や町並みは、向こうに何かあるかもしれないというワクワク感がある。
・これからは「大きなお世話」をしなければ、いいまちはできないのかもしれない。
・まちをみんなが大事にしているのを感じた。人と人がつながっていくことが面白い。
・雨が降れば水たまりができる道を久しぶりに歩いた。コンクリートだらけが発展なのかと疑問に思った。
・おむかえさんとあいさつのできる道幅はいい。
・生活している人のかもし出す雰囲気、まちの営みを、歩いていると感じる

[横須賀のまちの住人から]
・見ていただいたとおり、横須賀は決して観光地ではない。でも、こういうまちが好きだという人に来てもらいたい。
・横須賀のまちに、今までなかった信号ができた。ルールでなく
モラルで成り立っていたのが、信号ができたことで問題が起きている。目と目で判断していたのが、目を合わせなくなった。「お先にどうぞ」「ありがとう」などの目での会話もなくなった。

■事務局:NPO法人スローライフ掛川理事 佐藤雄一
毎回のレクチャーを通じて、景観というのは人の手が入ることで育つものだ、ということを教わってきた。皆さん、モコモコに登ったとき、登っているからもちろん自分が登っている姿は見ていないわけだが、人がモコモコとか関わっている状態を下から見ると、これが非常に面白い。子どもを遊ばせろ、という話がありましたが、まずは大人が遊べ、と思います。つまり、大人のいい遊び場として使えないか、ということが、大東のアートフェスティバルの一つの考え方です。人間のDNAの一つに、高いところと低いところに行きたい、というのがあるんですよね。高いところにいとも簡単に行けちゃう、というのがDNAにふれるのではないかと思います。
■講評・まとめ
東京学芸大学准教授 鉄矢悦朗
皆さんのお話を聞いていて、いい言葉がたくさんあった。「まちづくりは人が原点」「見る目を持った人が増えることが景観づくりになる」「人と人がつながっていくことが面白い」「人と場所の関係が保たれることで再生する」「人が手を引いたらいけない」「まちの説明を聞くと、そのまちの奥行きをさらに感じる」「草まできれいだ。でも雑草と呼ばれている」など。
雑草の話を聞いて、思い出したことがある。雑穀の雑はバラエティーの雑なのだと教えてもらった。もともと、雑穀とはひえとか粟とか名前が別々にあったのだけれど、西洋からミレという穀類の総称が来て、それに対する日本語がないということで「雑穀」とついた。雑穀というと、日本では下に見られるが、実はそうではなくバラエティに富んでいるということ。
この企画は、こうして少しずつでも言語化できていることすばらしい。人に伝えるときの、「何がよかったの?」に対して「なんか、よかったんだよね」以上のものが蓄積されている。我々も、細かい違いを理解していかなくてはいけない。「大きなお世話をお互いにしなければいけない時代」という意見があったが、昔は大きなお世話が見えなくてもお世話し合っていた。今は意識的にしなければできない状態。そういうことを、私も再確認したり、一緒に勉強させてもらった。
景観やまちづくりの話をしていると、「残す」という表現が出てくるが、残すということは作るということ。決して、立ち止まっていて保守的なわけではない。そういうポジティブな、確信犯的な「残す」もあるということを認識しなければいけない。
奈良県の大宇陀町でやったことなのだが、大学生が中学生にまちを案内してもらうということをやった。
大宇陀町は、平成18年に伝統的建造物群に指定されている。大学生にまちを調査しろという宿題を出し、中学生に案内してもらった。まちのいいところを発見してこいと。初年度、大学生がまちの人にインタビューして、いろんな面白い話をいっぱい聞いてきた。でも、大学生はよそ者。すごくもったいないと思った。ある私塾にお願いして、形だけでもいいから子どもたちを案内人にしてくれと頼んだ。一緒に歩いて、大学生は課題だから、子どもにも聞くが、そこで出会った大人にもインタビューする。そうするとおじさんたちがいろんな話をしてくれる。「あそこは昔、ビリヤード場で、おまえんちのおやじさんはビリヤードがずいぶんうまかったんだぞ」というエピソードを聞いたり、「あそこは昔、映画館だったんだぞ」とか、素敵な話がたくさんでてくる。そういうのを大学生の取材を通じて、まちの子どもたちが知ることができる。私は大人の話を子どもに聞かせたかった。あまりに日常だから、そういう話は普段は話さない。知っていて当然だと思ってしまっている。でも実際は話していない。そういうことが、学校の総合学習などで入ってくればいいとおもうのだが、学校の先生もお忙しいので、市民の応援がどうしても必要。子どもに伝えるというのは、そういうところで伝えられるといいと思っている。そのとき、大学生とか建築系の大学生が入ってきて、媒体のようになって、継続できればいい。終わったあとの感想で、中学生が「ぼくは必ず大宇陀町に帰ってきます」という言葉を聞いて、おじいちゃんたちを泣かせていた。
こんなところで、終わらせていただきます。ありがとうございました。
 
5.おわりに
■事務局 掛川市都市整備課より
本日はありがとうございました。これだけたくさんの皆さんが、まちを語れる目が養われてきたのではないかなあと感じまして、これからの市の景観づくりに期待できるのではないかと思いました。

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